ジェンダー・ヒップホップから見た「椿vs呂布カルマ」

太一です。

先日一部界隈で話題になったフリースタイルダンジョンの「椿vs呂布カルマ」を今一度ジェンダー論的観点およびヒップホップ的観点から分析・解説していきたいと思います。その前に、ラップバトルとはどういうものかを改めて知っていただく必要があります。

 

まず一つ目の前提として、ラップバトルでは、発せられた言葉が本心とは限りません。

バトルでは、相手をディスる(貶す)ことが基本中の基本となります。ディスる所がなくなったら相手の服の模様でもディスるのが作法ですし定石です。ダサいなどと思っていない相手の服をダサいと連呼することもよく見かけます。

特に呂布カルマは、どんなに仲の良い相手に対しても壇上に上がれば豹変し、恐ろしいディスを繰り出すことで有名です。

 

二つ目の前提として、ヒップホップ界隈にミソジニー的な感覚が一部残っているのは事実です。というより、特に女性ラッパーでバトルに出ている人が少ないので、女性が出てくるとどうしても「女の癖に」といったディスをしたくなります。

ディスが思いつかず言葉に詰まってしまえば、立石に水が必須とされるバトルでは負け確定ですから、目についたものは何でもディスの材料にしてしまいたくなります。そのため、苦し紛れに「女性」をいじったディスをしてしまうMCはミソジニストでなくとも存在します。

 

前回椿さんが登場した時はチーム戦だったのですが、「テラスハウス メスゴリラ コイツらにお似合いなのは鉄格子だ」などととんでもないディスを受けて敗北しているので、(モンスターのメンバーは入れ替わっているが)今回怒りの再挑戦を決意したのも納得です。

 

三つめの前提として、判定は議論の内容だけでなく、ビートアプローチ(リズム感や使っている技術)、上手いこと言ってるか(例え話など)、ライミング(韻の数と精度)など様々な内容を総合して決まりますので、話の内容だけで勝ち負けを決めることはできません。そのため、「明らかに論破していた側が負けた」といった騒ぎになることが珍しくありません。

 

さて、本題に入りましょう。ここからは、実際のバトルのリリックを書き起こしながら、解説します。

○第一ラウンド

ターン1 椿

何故か同じにおいがするって言われんだよな
全然 嬉しくねぇよ クソ加齢臭
眼鏡の奥 その向こう側 見据えてる
結局10年後 娘に「パパ マジでダセェ」って言われないように ここに立って
失言しないように気を付けな
それで精一杯だろ
お前は それでメンタル的な プレッシャーかけてるの バレバレ

 

まずは椿さん。

呂布さんと椿さんは同じ韻を踏まず内容で勝負するタイプなので、似たスタイルとも言われます。まずはそれに痛烈に反発してから、「クソ加齢臭」と直接的にディスをします。呂布さんはまだ35歳なので、どこまで的を射ているかはわかりません。また、これは逆にミサンドリー的な発言という見方もできるでしょう。それが悪いとは言いませんが、「ミソジニーと戦う」というスタンスで出てきている手前、少し不用意なディスだったのではないかと思います。

次に、呂布さんが子煩悩であることは有名なので、その娘を持ち出して批判します。これはよく決まっているのではないでしょうか。

最後、「かけてるのバレバレ」あたりが決められた持ち時間の8小節を少し超過してしまったのが勿体なかったです。

 

ターン1 呂布カルマ

俺 お前みたいに メンスのにおいしねぇけど勘違いすんな
君が男だろうが女だろうが俺は胸を痛めつつ ぶっ叩くだけだ
だが忘れんな HIP HOPってのは根底にあるSEXアピール
【女でも男でもない】ラッパーのラップは気持ち悪りぃ
まるで育った ガン【ジャ】みてぇだ

(【】内はコンプラとして伏せられていたもの)

 

いやぁ、メンスとか言っちゃってますよこの人。この辺りで逆上してしまい、冷静に試合を見れなくなったフェミニストの方は多いかと思います。(中年男性の体臭として知られる)「加齢臭」に対抗して、じゃあお前は~という形で女性の体臭に関するワードを絞り出したのでしょうが、メンスは酷かったですね。相手の言ったことをブーメランのようにして投げ返すのは呂布さんの常套手段ですが、このワードチョイスは正直かなりの悪手ではないでしょうか。

君が男だろうが女だろうが~と呂布さんは男女差別を否定します。実際、呂布さんの戦い方は相手が男だろうが女だろうがあまり変わらないので、そこに嘘はないと感じられます。

その後の、「女でも男でもないラッパー」というのがどういう意味かは分かりませんが、「男勝りなお前みたいな奴は女とは呼べねえ」という意味合いでしょう。ここに、性別に対する役割期待の思想が垣間見えます。男女どちらが勝っているなどとは思わないが、男は男らしく、女は女らしくあるべきだ。保守的な感覚ですね。バトルは本心ではないと言いましたが、私はこの役割期待には呂布さんの本心がある程度含まれているのではないかと考えます。

最後、ガンジャ(大麻)を持ち出した理由はよくわかりません。呂布さんはどのバトルでも非常に洗練され頭に残るかっこいいリリックを紡ぎ出すことに定評があるので、強い言葉でパフォーマンスした割にいまいちパッとしないこのターンはファンとしては不完全燃焼かな、といった印象を受けました。

 

ターン2 椿

結局 根底は愛 当たり前だぜ 本当は【Fuck】とすり替えたいよ
SEXどうのの話じゃねぇんだ ミソジニー発言
これはチャレンジャーそしてリベンジャー取り戻しに来たんだ
根底の愛 全力で立てる中指 泥仕合持ってくぜ
どうしても殺したい

 

私は呂布さんの「HIP HOPってのは根底にあるSEXアピール」という意見はピンと来なかったのですが、椿さんはこれに賛同したように見えます(愛と言い換えてはいるが)。……と思いきや、SEXどうのの話じゃないと逆のように聞こえることを言います。これはバトルあるあるなのですが、まともに書き起こすと矛盾しているような発言が飛び出すことは珍しくないです。むしろそういった矛盾が一切ないバトルを見かける機会は滅多にありません。それが一つバトルは本心とは限らないと私が考える理由の一つです。

ここで呂布さんのミソジニー発言を指摘します。メンスの下りはミソジニー発言と捉えて然るべきだと思うので、これは的確なディスでしょう。

さて、椿さんはそこから「チャレンジャー」「リベンジャー」で気持ちよく韻を踏み、かっこよくリベンジを宣言。最後には「泥仕合」「どうしても」「殺し合い」とバチバチに韻をはめてきました。

 

ターン2 呂布カルマ

ミソジニーとか難しい言葉知らねぇ ジェンダーのおばちゃん
まるで【田嶋陽子】みたい椿でも お前もいつか妻になる
妻になり 母になり その後「お母さん なんであんな事してたの?」って言われないように
せいぜい気張んのはオメェの方だな
無理した言葉 ボロが剥がれるぜ

 

ミソジニー一点張りで詰め寄る椿さんを、そんな話はくだらないというように一蹴します。田嶋陽子を出すなんて、なんと恐れ知らずな。フェム界隈でもあの人の名前出すのはかなり勇気がいるんだぞ。ここでも、恐らくテレビを見ていたフェミニストの皆様は、「ジェンダーのおばちゃん」などという発言には自分も一緒にバカにされたような気持ちになって憤ったことでしょう。初めてラップバトルに触れた人なら尚更のことです。

妻になり~の下りは、そこだけ切り取られてTwitterでプチ炎上していましたが、どう考えてもターン1の椿さんの発言を男女反転させたものですね。しかし、本当に反転として機能しているでしょうか?

呂布さんは既婚者で、妻と娘が実際にいます。椿さんは未婚で、結婚願望の有無も本人が語っていないため分からない話です。しかし、呂布さんは椿さんが男性と結婚すると決めつけている。つまり、この発言は単なる反転の意味に加え、「異性と結婚して落ち着くのが誰しものゴール」というステレオタイプな規範を内包しているのです。ひどく不用意な発言でした。呂布さんはバトル外でも同年代のラッパーであるDOTAMAさんに「お前結婚しないのか」と心配して聞いたことがあるそうですから、こういったある種時代遅れな考えを持っているのはほぼ間違いないでしょう。

 

判定

チャレンジャー 1 – 4 モンスターという結果になりました。

呂布カルマさんのクリティカル勝ちを止めたのは「差別的かどうかも判定基準だ」と語ったことで知られるいとうせいこうさんです。テレビで抜かれたゲスト審査員のTOMI-Eさんは「呂布くんは勢いがあって、椿がすごくレボリューションクイーン」というよく分からないことを言っていましたが、票は呂布さんに入れていました。

第一ラウンドは、自分のスタンスを明らかにして勝つための気迫をアピールする椿さんに対し、多くのラッパーの例にもれず「女」であることをディスの根幹としてしまった呂布さんのバトルとして私の目には映りました。二流程度のラッパーならともかく、一流で現役最強クラスのバトルMCである呂布さんが本気を出せば、「女」を避けてなんとかディスを見つけることもできたと思います。でも彼はそれを捻り出そうと必死にはならなかった。それが少し残念です。

1:4とここまで歴然とした差がついてしまったことには驚きです。椿さんにも細かなミスは散見されましたが、呂布さんもとても本調子には思えませんし、椿さんがターン1で予言したように失言らしきものも見事に発してしまっています。他の審査員のコメントも見たかったですが、番組ですから仕方ありません。

とはいえ、まだ第一ラウンド。椿さんもまだ何も大したことは主張しているようには見えませんし、呂布さんも表面上椿さんを攻撃しているだけでスタンスがはっきりしません。わかったことといえば、呂布さんが役割期待の意識を抱いていそうなことと、椿さんは反差別なようでいて実は差別意識を捨てきれていないことぐらいでしょうか。より立ち入った話は、続く第二ラウンドで行われました。

 

○第二ラウンド

ターン1 呂布カルマ

俺は格好良いラップをして かわいい女の子たち濡らして
それしか考えてねぇ ラップで つまりだからこそ男磨いて
お前は誰のためのラップ会場にいる女の子 勇気付けたい
じゃあ男はどうすんの? ないがしろか?
俺は どっちも相手にしてるぜ

 

いやあ、全体通して凄いビートアプローチです。呂布さんは韻が少ないので地味なラップと思われがちなのですが、実は最大の武器はこの卓越したリズム感にあります。まるで曲のような音のはめ方に、純粋にテンションが上がりました。

内容はといえば、ここで少し呂布さんのスタンスが見えてくるような気がします。呂布さんは、自分が考える「男らしさ」に自分を当てはめ、それによって「女の子を濡らす」ことが使命だとでも言わんばかりに主張します。

そして、椿さんに対し「女ばかりでなく男も相手にすべきじゃないか?」と問題提起します。

この発言で、一部フェミニストの皆さんはアレルギーが出たことではないでしょうか。というのは、アンチフェミの中には「お前らは女の権利ばかり主張して、男の権利はどうなんだ(実際、男性の方が社会的に弱い場面も存在するが、その払拭のためには活動していない)」といった攻撃をしてくる輩がいるので、その人達のことを思い出したことでしょう。この発言を聞いて、呂布さんをミソジニストのアンチフェミのおっさんだと決めつけてしまった方も多いのではないでしょうか。しかし、実際には恐らくこれは「ラッパーというのはエンターテイナー。エンターテイナーとは会場の全員を楽しませるもの」という呂布さんなりの仕事の哲学から来ていたのではないかと思われますので、パッと見よく似ているだけでアンチフェミ界隈の連中の発言とは全く異なるものではないかと考えます。

しかし、実はそれ以前の問題があります。この発言、直前の呂布さん自身の発言と矛盾しています。「格好良いラップをして女の子たちを濡らすことしか考えていない」と自ら言っておきながら、「自分は男も相手にしている」と豪語します。これはおかしいですね。呂布さんはかなり整合性の高い即興ラップをすることに定評がありますが、やはり即興ということがあって論理の破綻が発生してしまいました。慣れない男女の話題を無理に始めたからというのもあるかもしれませんが、これは大痛手です。

 

ターン1 椿
気合いが足りてねぇ 男連中がやってんだもん
血と汗と涙 そして塩分 もう1度確かめて来やがれ
足元確認 開口部 テメェの方だぜ
結局何だ 頬張れ まずい物は食えねぇ
お前もそう大してライブでかませてねぇ
熱量が足りてねぇ 私の方が上
前回の借りを返すぜ 相手はオメェ

 

返す椿さんは、男たちの気合が足りないとディスします。椿さんは熱さが取り柄のラッパーですから、この話の持って行き方は上出来です。特に相手が真逆、常にクールを気取った呂布さんなので、非常に有効でしょう。

足元確認~からの発言は何の話をしているのか一見分かりにくいですが、「全員を楽しませる必要なんてあるか?楽しませたい人を楽しませる、それでいいだろう」という呂布さんの主張とは相反するエンターテイナー論で反撃しています。加えて、「お前も全員を楽しませられているかと言えば、そんなことはない」と痛烈にディスします。実際、呂布さんは会場全員を沸かせるほどのマイケル・ジャクソン級のスーパースターでは残念ながら無いので、これは的を射ていますし、非常に的確な攻撃でしょう。

最後には前回の雪辱を晴らすと改めて宣言し、ターンを締めくくります。

 

ターン2 呂布カルマ

熱量だけで勝てるバトルは とっくに終わってます
俺クールコア骨から冷えてる それでも燃やせるオメェぐらいならな
情けねぇ男って誰の事言ってんのか知らねぇが
この後控えてる奴も 全員強靭な男
そこに女がいない理由は?

 

またしても恐ろしい精度のビートアプローチです。少し跳ねたリズムも取り入れつつ安定的に乗せます。相手がその辺のMCなら、たとえ話の内容がまったくの空でもこのビートアプローチだけで勝ってしまうのではないでしょうかというレベルです。

「熱量だけで~オメェぐらいならな」の下りはようやく呂布さんの本調子といった感じで、呂布さんらしいリリカルでウィットの効いたかっこいいフレーズとなっています。そうそう、こういう戦い方をずっとしていれば議論の余地なしにあんたは最強なのに!と思ったものです。

さて、その後はあまり内容はありませんが、モンスター側に女が一人もいない理由を問います。呂布さんの「理由は?」はかなり高圧的に見えますが、実はバトルにおいて相手に対話を求める際の常套手段で、「言い返してみろ」と相手に勝負を委ねる意味合いになります。これは呂布さんがそれなりにリスペクトしている相手にしか行わない行為なので、驚きました。

余談ですが、実はモンスターにオファーされた女性ラッパーにもいます。COMA-CHIさんという方ですが、タイミング的に産後のブランクがあったことから、オファーを断ってしまったそうです。実に勿体無い!もし夫が子育てを妻に任せっきりにしていることが復帰し辛かった理由だとすれば、これは非合理な性別役割分業そのもので……などといつもの癖で勘ぐりたくなりますが、証拠もありませんしここではやめておきます。

 

ターン2 椿

OK かわいい担当は崇勲がいるからだろ だから女がいねぇんだ
セクシーはLiLyに任せとけ かわいいは崇勲に任せとけ
今日の山もハードコアも頂くぜ
馬鹿野郎 空白ばかり埋めやがってさぁ
適当な言葉 言ってるのバレバレだぞ
MU-TONに恥かかせられて次は私だぜ
一生の恥をかいて消えやがれ

 

私の中で、一番の問題のバースです。第一ラウンドから見えていた、実は椿さんの中にも差別意識があるんじゃないか?という懸念がここで爆発してしまいます。

ここまでは、「男と女は別の生き物、わきまえて別の生き方をしろ」という呂布さんの立場と、相反する「男も女も同じ土俵で戦えばいいだろ」という椿さんの立場がぶつかり合っていましたが、椿さんが一つ大きな失敗を冒してしまいます。それは、「女はかわいくてセクシーなもの」という自分の中にあった差別意識(というよりはむしろ、社会的規範の内面化と言うべきか)を暴露してしまいます。これによって、見ている側は「あれ?女も男と一緒に頑張れるって主張してた椿さんが、女は可愛くてセクシーな生き物だと認めてしまったぞ?」ということになりました。取り返しのつかないほど大きな痛手です。

ジェンダー研究について学んだことのある者だったら恐らく絶対にしない失敗ですが、ここで椿さんのジェンダーに対する考え方のボロが出てしまいました。いえ、何も上野千鶴子を読んでからバトルに挑んで欲しいなどと言うわけではないのですが、ミソジニーを話題に出すことによるリスクを運悪く回収してしまった形になってしまいました。こればかりはどうしようもありません。

「OK かわいい担当は崇勲がいるからだろ だから女がいねぇんだ」まででしたら、「制作陣がそういうステレオタイプを抱いてるから男にばっかオファーが行くんだろ、私はそのステレオタイプはおかしいと思うけどな」という主張とも捉えられなくもないのですが、「セクシーはLiLyに任せとけ かわいいは崇勲に任せとけ」で自分もそう考えていることを認めてしまいました。恐らく審査員たちは気付かないような内容の破綻ですが、この時点で椿さんが我々の代弁者ではなくなってしまったことが判明してしまったのは、残念です。

以降は、ありきたりなディスが続きます。呂布さんが番組内で唯一敗北を喫した相手である若手ラッパーMU-TONの名前を出しましたが、他に特筆すべき点はありません。

 

判定

チャレンジャー 3 – 2 モンスターという結果になり、椿さんの勝利が決定しました。

ラップバトルにおける差別的な発言に苦言を呈しているいとうせいこうさんはモンスター側に入れていましたが、確かにこのラウンドで呂布さんは「女男どちらがが優れているというわけじゃない、女と男はそもそも別なんだから住み分けが大事なんだ」というスタンスを明確にしたので、いとうせいこうさんの差別センサーに引っかからなかったのでしょう。厳密には、それも差別の一形態(より正確には、ジェンダー意識そのもの)なのですが……。

分かりやすい解説でおなじみのKEN THE 390さんは、「ドスの効いた悪口を的確なタイミングを入れる椿が上回った」という評価でした。

 

○第三ラウンド

ターン1 呂布カルマ

無理すんなハードコアだ なんだかんだ言って
ここにいねぇ奴の名前ばっかり出しやがる
女 男 置いといてお前は女の腐ったような卑怯者だって事だ
さっきから俺に向かって高い声でキャンキャン吠えるそのものだ
それは まるでヒステリックな女 そのものだ
自分を偽るな
俺が女だったら おっぱいを出すぜ LiLyさんを見習え

 

序盤はありきたりな相手の言った言葉尻を捕まえてのディスです。

次に、「実際の性別とは関係なく、お前はいわゆる『女の腐ったような卑怯者』だ」とディスします。これもフェミニストからしたら議論の的になり得る発言ですが、「女の腐ったような奴」という表現は「うじうじしていて女々しいさま、男らしくない軟弱な様子などをののしって言う表現。(実用日本語表現辞典)」という意味ですので、意味論的には特に性差別的な意味合いはないのではないかと思います。呂布さんもきっと言葉遊びがしたかっただけでそういった意図はないでしょう。もっとも、「女の腐ったような」や「女々しい」という表現自体が性差別に根付いているので私は嫌いですが、話が逸れるのでここでは議論しません。

後半は、明らかな女性蔑視的な発言に見えます。女=ヒステリー、また女=おっぱいを出す、というような呂布さんの女性観が垣間見えます。ステージを降りた呂布さんは至って落ち着いた常識人として知られており、奥さんも健全な少女漫画家ですから、こういった思想を日常生活で表に出すことはないのでしょうが、根底にあるそういったイメージが現れてしまったのではないかと考えます。呂布さんはTwitterでグラビアアイドルの写真をツイートすることが多いですし、女=おっぱいは思想というよりはただ単に呂布さんの趣味に由来するものなのかもしれません。グラビアアイドルを楽しむことそのものが女性蔑視だという意見を持っているフェミニストの方もいますが、ここでそのことについては議論しません。(思想と趣味の区別についての私の意見は、こちらを参照)

 

ターン1 椿

ヒステリックな女にコンプレックスでもあるのか?マザーコンプレックスか?
結局そうやって卑下してる
下とかじゃない上とかじゃない 見せつけるジェンダーレス
大事なのは変化です
不可能と言われた青い薔薇だって出来たように私はやってやる年末
そして2018年 始まる
これは革命の狼煙を揚げる

 

マザーコンプレックスが男性差別的だという意見もTwitterで見受けられましたが、私は無関係だと考えます。「マザコン」と聞いて男性が思い浮かぶとすれば、それは我々自身の中にある差別意識です。言葉そのものにそういった意味合いはありません。

「卑下」は恐らく「侮蔑」などの言い間違いでしょう。

ここに来て椿さんはジェンダーレスを再び提示します。先程の失言によって椿さんの主張の一貫性は保たれなくなっているのですが、審査員も呂布さんもそれを指摘しないので、椿さんは引き続きジェンダーレスな立場を主張することができます。

そのまま「変化です」で韻を踏み、自分が身につける「gender Jess」というファッションブランドの青薔薇パーカーにちなんだ強烈なパンチラインを繰り出します。正直そこから革命の狼煙までの持って行き方はめちゃめちゃかっこよくて、この試合で一番上がりました。

 

ターン2 呂布カルマ

ジェンダーレス 変な思想
男 女 最高の制度
俺は男だから それを見せてる
俺が女だったら もっと売れてると多分思ってる
お前ら女のくせに情けねぇ
【マンコ】のにおいしかしねぇ
俺はマイクの握り方から変えてるぜ
お前には握らせねぇ 金もマイクも何もかも

 

前半は、呂布さんの「男と女は別」思想の再提示で、特に目新しいこともありませんが、「自分が女ならもっと売れてる」から「女のくせに」は女性に対するリスペクトとも取れるでしょう。女性は男性より本来は凄いんだぞ、なのに個人としてのお前はその程度かよ、と。私からしてみればそれも差別の一形態なので、だから何だという話ではあるのですが、「こいつは女性蔑視だ」という先入観の元に試合を見ていた人はこの展開に驚かされたかもしれません。

マンコは酷いですね。ただ男相手のバトルでチンコ去勢とかフル勃起してんじゃねえとかいうディスはMCの性別問わずよく聞くので、マンコぐらい許してやってほしい気もします。

マイクの握り方~の話はよくわからないです。拘りということでしょうが、握り方、違うんでしょうか?

 

ターン2 椿

ほら あんたの娘が泣くぜ
メディアに出て何年後 お前の動画を拾って
根底は愛 ふざけんな
何がだよ 結局は これは途絶えない 永久にループ
残らない 残って行く事をやってるんだ
だからくだらない事ばっか さっきから言うな ペラペラ
紙1枚分 吹いたら飛んじまう
ダストと呂布カルマ大して変わらないぞ

 

娘の話を蒸し返す椿さん。第一ラウンドで「結局 根底は愛 当たり前だぜ」と自ら認めた「根底は愛」論を自分で蒸し返して自分で批判して自分で矛盾しているように見えますが、恐らく「根底は愛と言っているがお前のそれは愛じゃねえ、性欲か思考停止の現れに過ぎないだろ」とでも言いたかったのではないでしょうか。

途絶えない永久にループ~、あたりは解釈が難しいですが、「何年後にお前の動画を拾って」から「一度吐いた言葉は何年経っても消えないから責任を持て、お前の言ってることは紙のように軽いぞ」という意味合いのディスでしょう。これは「言葉のウェイトが重い」と評されることの多い呂布さんにとってはかなり言われたくないことでしょうし、実際この試合での呂布さんは重みのある鋭い言葉が少なかったので、図星というものです。

 

判定

チャレンジャー 2 – 3 モンスターという僅差で、呂布さんの勝利となりました。誰か一人モンスターの代わりにチャレンジャーに入れていれば椿さんの勝利だったので、惜しかったですね。いとうせいこうさんがチャレンジャー側に戻ってきました。当たり前ですね。

唯一の女性審査員であるLilyさんは「椿さんの言いたいことも分かるが、呂布さんは椿さんの主張をわかった上で、女ってすごいものなのにお前は情けないなという言い方だった。女に対するリスペクトを感じたし、考え方が一段上だなと感じた」と評しました。確かに納得感のある理由である。女性に対する過度なリスペクトや神聖化も差別の一形態なのだが、それに対する理解を審査員や現場のラッパーに求めるのは先程の上野千鶴子を読んでからバトルに挑めと同じ理論になってしまうので、仕方がないです。

その点を除けば呂布さんに特にかっこいいパンチラインもなく、あまり面白いラップではなかったと思うのですが、一つ明らかに優れていたのは主張の一貫性です。

バトルというのは本心とは限らないとは再三書きましたが、「夢は追え」vs「夢なんて抱くだけ無駄、諦めろ」という主張のぶつかったバトル(半分お遊びのようなものですが)がありまして、夢を追ってラッパーになった筈の男たちが「夢なんか諦めろ」と主張し続けて勝利した例もあります。暴論か正論かよりも、ちゃんと自分の立場を貫き通せるかの方がラップバトルでは重要になります。それこそ審査員が個人的に自分がどちらの考えに共感できるかで判定してしまったら、議題の選び方で勝敗が決してしまいますから、そうならないようにしているのです。

そのため、呂布さんが勝利したのだと思われますが、正直私はバトルとしてはどちらでも良かったかなぁと思います。その位に、バトルとして見たときに低レベルな戦いだと感じました。勿論Zeebraさんの言うように、女性ラッパーが出てきてヒップホップ業界で女性が弱いことを問題として取り上げたことはきっと大きな価値がありますし、現に私はそれを受け10,000字を超える評論を書いているわけなのですが、はっきり言って勝敗はどうでもいいくらい、スキルや話の持って行き方は大したことのない試合に思えます。バトルとしての見どころがあるとすれば、呂布さんの圧倒的なビートアプローチと、かっこよかった青い薔薇の下りぐらいでしょう。

 

以上がフリースタイルダンジョンの椿vs呂布カルマに関する私の私見です。バトルはたかがバトルですが、されどバトルで、プライベートの場なら言えないようなことも言えてしまうものです。それは良くも悪くもで、ビートの勢いが、強者に対する旁若無人な振る舞いも、弱者に対する差別的発言も、助長してしまいます。今回はそれが実感できる有意義な試合だと感じました。

なお、私の個人的なヒップホップ観としては、気に入らない相手に対するディスも仲間へのリスペクトも愛する人への気持ちも全てマイクロフォンを通しぶつけるのがヒップホップだと思っているので、呂布さんがTwitterを通して適当なことばかり言っているのはダサいなぁと感じています。曲がこの上なくかっこいいだけに、残念です。

 

ここまでお読み下さりありがとうございました。ヒップホップに興味がない方も、これを機に興味を抱いて頂けると幸いです。

では、また別の記事でお会いしましょう。

自己紹介「私はミソジニーを叩けない」

多くの方にははじめまして、太一と申します。
本名ではありませんし、気に入ってもいません。だから愛着もありません。

私がどういう人間かについては、実はTwitterのbioで事足ります。

というわけで、この記事では、自己紹介と言っておきながら、自分のスタンスの表明をさせていただこうと思います。
とはいえそんなに立派な思想があるわけではないので、あくまで私の議論のやり方を三点ほど簡潔に説明させていただきます。

 

①個人的な話と社会的な話を区別する

 最も気をつけている点の一つとして挙げられるのが、この考え方です。

私はジェンダーについて議論することが多いのですが、そもそもジェンダー論は「男女の生来の性差であるsexに加え、社会が生み出す性差genderが存在し、それが人々の生き辛さを助長するようなら社会的規範を組み直した方が良いだろう」という考えを出発点にしています。私はXジェンダー(自己の性別は女性でも男性でもない)かつパンセクシャル(恋愛対象は男性にも女性にもそれ以外にもなる)の立場を取っていますので、当然のように「男にも女にも必要以上の差はないよ!」というジェンダー論に共鳴します。

 しかし、だからこそ、不安になることもあります。「自分が今語っているジェンダーは、本当に"思想"としてのものだろうか?ただ、自分の"趣味・好み"について語っているだけではないのだろうか?

 具体的には、次のような場合です。私は現在セクシャルマイノリティLGBTなどと呼ばれている人々がそのような特殊な区分もされず、シスジェンダー(身体的性別と性自認が一致)ヘテロセクシャル(異性愛、以下まとめてシスヘテと呼称)の人々と何の差異もなく暮らせるような社会を目指し活動しています。それゆえ時に、シスヘテの恋愛しか描かれない恋愛作品を見たときに、「なんと差別的な作品だ」と一瞬身構えてしまいたくなります。しかし、そういった恋愛作品の対象は誰でしょう。そういったシスヘテの男女なのではないしょうか。脚本を書いているのも、そういったシスヘテの恋愛が好きな方であろうと推察されます。つまり、あくまでこれはそういった作品を取り巻く人々の"好み"の話であると考えられ、批判するのは筋違いだとわかります。男女の完全なる平等を目指していたとして、「私は男性しか恋愛対象として見れません」という女性を男女不平等だ!と批判することは筋違いでしょう。つまりはそういうことなのです。もし私が批判すれば、私はただ「自分の性癖を人に押し付ける奴」になります。(この点から理解していないアンチフェミ界隈の方がエマ・ワトソン氏をこの文脈で批判しており、非常に残念な気持ちになったことを覚えています)

 しばらく前に、Twitterでとある漫画家の方が「露骨なエロ漫画は規制してしまえば良い。良い作品は性器の描写ではなく表情からエロスを伝えるのだ。」と発言し話題になっていましたが(あくまで理解していただくための一例としての引用なので、厳密なニュアンスは保証いたしません、ご容赦を)、あれも「自分の趣味趣向」と「社会的なあるべき姿」を混同している良い例でしょう。他にも、自分が化粧に無頓着なのを良いことに会社で化粧する女性を批判したりとか、自分が異性愛者でなんとなく気持ち悪いという理由で同性婚(すべての人のための結婚)を批判したりとか、様々な実際の例があります。

 さて、ここまでは「自分の趣味趣向」と「社会的なしくみ」の話。ここからは少し視野を拡大して、本題である「個人的な話」と「社会的な話」についてです。

 皆さんはミソジニストを見かけたらどう思うでしょうか。「女性差別はまだ根深い」「こういう人がいるから社会における女性の権利が未だ不完全なままだ」「こういう人に私も苦労させられた」様々な怒りや嫌悪の気持ちが芽生える方が多いのではないでしょうか。

 しかし、私はミサンドリストなのです。あまり男性と会話したくありませんし、男性の思考を心底気持ち悪いと思ってしまうことが多く、男性を嫌いといってもいいでしょう。それは、差別でしょうか。絶対に改めなければいけない考え方なのでしょうか。

 私に、ミソジニストの方を批判することはできません。それは、私自身をも否定することに繋がるからです。無理にでも男性を好きになれと言われて、好きになれるものではありません。……どうやっても好きになれと?それは、レズビアンの女性に「お前が女なんかを好きになるのは本当の男の良さを知らないからだ、どれ、俺が教えてやろう」と手を出すクソ男の思考そのものではないですか?……おっと、少しこれは感情的だったかな。

 私は、自分の趣味趣向と社会的なしくみの話を分けて考えたいと先ほど述べました。私はよく「男なんて死んじまえ」と考えてしまうことが多いですが、実際に何らかの形で男性の人権が抑圧されるようなことがあれば、何がなんでも反対します。それは、私の個人の趣味の理想化でこそあれ、絶対に「正しくない」と思われるからです。私は、自分が「個人的に」男性を嫌いであるだけだと自覚しています。ミソジニストの方も、私と同様に、自分の趣味趣向と社会的規範を混同しないように気をつけているのであれば決して攻撃対象にすべきだとは思いません。トマトが嫌い。ああそう、私は好きだけど君は苦手なんだね。バラエティ番組が嫌い。ああそう、僕は楽しくて好きだけど君はああいうノリが合わないんだね。女性が嫌い。ああそう、君には合わないんだね。それだけの話だと思います。

 しかし、もしその趣味趣向を社会的に場に持ち込んでしまう場合は別です。女性が嫌い。ああ、そう、だから優秀な社員であっても昇進させないんだね。……なーんて、認められるわけがないじゃないですか。実際にそういう人が多いのが、問題なのです。

 さて、もうひとつ例を。亭主関白。今どき、流行らない文化でしょうか。未だに、家父長制は深く日本社会に根付いているのでしょうか。どちらの意見もあるでしょう。私は断定しません。しかし、この記事を読んでおられるような方の多くはそれに反発を抱いているのではないでしょうか。それでは、かかあ天下の家庭はどうでしょう。同様に批判すべきなのでしょうか。

 私は、どういった形の家庭が、そのメンバーである家族にとって最適であるかは、個人的な問題であると考えています。亭主関白の家があっても良いのですよ、本当にそれが最適なのであれば。それによって家族が幸せになるのであれば。かかあ天下の家も同様です。それが良いとその家庭が思うのであれば、そうなれば良いのです。ジェンダー論が、男女の性差を完全に排除していないのには理由があります。「合理性のない」役割期待によって生き辛い人がいるなら、その不合理な規範を取り払ってしまえばいいではないか。それによって誰も不幸にならないのであれば、反対する理由もないじゃないか。といった所です。つまり各家庭に合理性があって夫婦どちらか(あるいは子供が力を持っていても別段悪くないと思うのだが)が力を持っているのなら、それを批判するのは人様の家庭に対する悪質な介入にほかならないでしょう。

 では、なぜこれだけ我々が反感を覚えるのか。実はこれは敏感になりすぎ、などではありません。れっきとした理由があります。それは、亭主関白が、我々が戦うべき相手である社会的規範が内面化された結果である場合が多いからです。「男が大黒柱、家を支えるべきだ」という社会に根付いた風潮。これによって、一切の合理性なく亭主関白となる家庭は多く存在しているでしょう。こういった点は、十分批判するに値するものです。こういった家庭と、先述のようにちゃんと理由があって男性が力を持っている家庭を見分けることは困難です。だから、我々は目先の家庭や既婚男性を批判するのではなく、社会そのものに一石を投じる必要があるのです。同様に、ミソジニストも単なる好みの問題なのか社会的規範から来ているものなのか区別がつかない上では、攻撃すべきはその社会的規範そのものなのではないでしょうか。

 最後に、実を言うと、私はフィクションであれば「女性がひどい目に合う成人向け漫画」にも性的興奮を覚えます。よく規制が叫ばれているようなやつです。現実では一切そのようなことを許すつもりはありませんし、むしろフェミニストの方々と一緒になって活動することが多いです。このようなことを書くと、SNSではボコボコにされることが多いですし、読んで下さっている皆さんも白目を剥かれていることかと存じますが、ここまでの文章を踏まえ、これはあくまで「個人的な趣味趣向」であるとご理解頂けないでしょうか。

 

②人間は矛盾するもの

 ここまでが長くなりすぎてしまったので、以下は出来るだけ簡潔に書きましょう。私の議論のスタンスとして、人間は矛盾するものであるという考えがあります。私は行動経済学を学んだ身として、人間の判断は合理的だと思われがちだが、実は全くそうでないことをよく知っています。ですから、同一人物の主張に矛盾が発見されることも問題ではないと思います。よく相手の揚げ足を取る際に矛盾点を見つけ、それをもって相手の言論の価値を貶める方がいますが、時間が経てば人間の考えは変わるものですし、別の視点から物事を見たら違う結論が導き出されることなど珍しくはありません。私は、それでいいのだと思っています。むしろ、「相手の意見を全く理解できない」よりも、「相手の意見もよく分かる」方が議論はよく成立するのではないでしょうか。

 ただし、許容できない矛盾もあります。それは、一つの繋がった論理構造の中で、矛盾を発生させることです。これは論理学的には破綻を意味します。こうなってしまうと「人間の矛盾」ではなく「議論の矛盾」となってしまうので、その議論に価値はあまりなくなってしまいます。そうならないように、少なくとも一つの主張は一つの信念のもとに貫くようにしましょう。

 最後に一つ、当たり前のようで守られていないことを注意喚起したいと思います。これはフェミにもアンチフェミにも右翼にも左翼にも誰にも言えることなのですが、「ある括りの人々を同一と見なし、その矛盾点を突く」のは絶対にやめて下さい。例えば、これもあくまで一例なので実際の政治的主張とは分けて考えて頂きたいのですが、「保守の人は国の固有の領土を守れと言いながら、米軍基地を認めている。矛盾している!」という指摘をするのであれば、その二つが同一人物の口から発せられたものであることをまずは確認しなければなりません。簡単なことですので、よろしくお願いします。

 

③批判は受け付けます

 これは私個人としてなのですが、基本的に批判は受け付けています。それは各論の是々非々だけでなく、①、②で書いた私の基本理念についてでも構いません。多くの議論好きとやらは、「相手と根本的な価値観からして異なっていた場合、分かり合うことを諦める」ことが多いように見受けられますが、そもそもジェンダー論の出発点となった構築主義は、「自分が当然だと思っている根本的な価値観すらも絶対的なものではないのではないか」と疑う所から始まっています。私は、自分が思考の根底としている部分でさえも、批判を受け入れて変えなければいけない場合があると考えています。だってそう信じなければ、生まれたときから「女は男を好きになるのが普通」と根底に刷り込まれた人の思考を変えるなんて不可能になってしまうでしょう?

 とはいえ、残念ながら人生の時間は有限です。私の貴重な時間を、Twitter上での議論などに大幅に費やしたくはありません。寄せられた批判全てに目を通し、熟慮していたら、それこそ何も発信することができないまま人生が終わってしまうことでしょう。ですので、議論を打ち切る場合はございます。逃げた、と考えていただいても構いませんが、実りある議論のためにはこれも致し方ないことかと存じます。残念極まりないと私も考えています。ご容赦下さいませ。

 

以上が私の基本的なスタンスです。簡潔にと言った割に長文になってしまい申し訳ございません。ここまで読んでいただいた方には、本当に感謝の念しかありません。

では、是非一緒に世の中を良く変えるべく戦っていきましょう!ありがとうございました!